Situating Second Language Motivation.
in Dorneyi 2001b.
タイトル通り、第二言語学習におけるMotivationの位置を、洗いなおすような論文。psychological, sociologicalな面から最近のMotivation研究の動向を分析。Dornyeiが提唱するselfについても触れている。
私が興味のある部部としては、p75 Responding to the classroom situation。教師の要因(instructionの質、command of the L2, teacher propensity to teat students fairlyなど)が生徒の動機付けに与える影響は大きいとある。教師は効果的なinstructionを身に着けるために、生徒に関する様々な情報を知ることが大事で、この流れからATIAptitude Treatment Interaction = 生徒の適正に応じた教授法で教授する)についても詳細に触れている。
また、Motivationを活性化するために、協同作業をとりいれた授業を1年間にわたり行った実験を紹介し、協同作業は学習者同士の学習を刺激する面がある一方で、タスクが難しすぎると学習者の和が乱れ、効果的ではなくなる、と、適切なタスクを選択する重要性と、協同学習の複雑性を指摘している(p85)。
調査方法としては、Motivationを授業内で観察する場合には、やはりethnographicに長期にわたり観察し、その複雑性をよく見極める必要があると述べている。
最後に、motivation研究が今後更にpracticalなものになっていくためには、個人個人の学習者にフォーカスをあてるように、その研究領域の幅を広めていく必要があり、個人と個人をとりまく環境や教授法・タスクなどとのinterplayなどを考慮にいれ、ethnographicに、また既存の量的な調査に加え、質的な調査を行っていくべきだと、まとめている。
ひとつ、面白い記述として、p83に「教師は、クラスごとにまったく違う“気”の様なものを感じることがある」という記述があった。これは教師なら誰でも感じることだけど、「A組はすごくノッテる授業ができるのに、B組で同じことをやってもみょーにノリが悪い…」というようなことだと思う。著者は、このようなノリの悪いクラスのことをunmotivated classesと呼んでいる。amotivatedなのか、unmotivatedなのか、demotivatedされてしまったのかはおいておいて、こういうunmotivatiedなクラスで質的な調査をしても面白いかなぁと思った。個人個人のmotivationが低いのか、それとも個人のmotivationは他と変わらないけど、何かが作用してunmotivated な雰囲気をつくりだしているものがあるのか…。ただ、こういう「雰囲気」チックなものをscientificに記述しようとすると、すごく難しいんだよね。だからaffectなものを取り扱うのは難しい。でも、絶対にこういう「雰囲気」は存在しているので、これをなんとか形にしてみたいなぁ、と思った。