Teacher Cognition in Language Teaching

カナダの高等教育機関で外国語を教える教師8人をethnographicに調査した研究に基づいてかかれた本。
Chap3.An ethno-cognitive model of language teachers’ decision-making
教師のdecision-making processを扱う章。teachers’ decision making processをモデル化する場合、3つの要素が必要である。①教室内活動を行う際の教師が実際にくだす決断(=observerが目にするもの)、②教室内で何を行おうかという教師のplanning process、③教師の過去の体験(教室内の体験だけではない、個人としてのこれまでの体験)を含むinterpretive process、の3点。つまり、「教師個人が持っている過去の経験に基づく信念(③)」「○○をやろう、という計画(②)」「実際に行った活動(①)」の3点から、教師の決断のプロセスを解明しようってことか。この3つが円の様な図式を構成して、教室内活動が行われている、と。 で、その後認知心理学社会心理学、行動心理学などの分野から「人間のdecision making」に関する諸説が紹介されているがこちらは割愛。
Chap4.上記の①「教室内でおこるactionとevents」に焦点をあてた章。関係なさそうなので、すっとばす。
Chap5.Decision-making in the structure of a course: a model of the planning and processes of teachers.
3章の②planningに関して、「教師はどのような心的過程を通して、いつ・何をする、というplanningをするのだろうか」について書いてある。decision-makingは、生徒の知識や能力・カリキュラムの内容・実際の教室内の様子などの「現状」に関する教師のknowledgeとbeliefに基づいて行われる。教師のdecision-makingは、いろんなものの影響を受ける。が、この研究によると、やはり最も中心的なのは、教師であった(p.118)。decision-makingの構造というのは非常に複雑で、ダイナミックなプロセスで、いろんなタイプのconsciousness, logic, intention, thoughts, action, purpose, rationaleが絡んでいる。この章の目的は、このダイナミックなfeatureの実態をつかむこと。(p.123)
教師のdecision makingには2つのタイプがあって、一つは授業準備の際のdecision making。もう一つは、授業中のdecision making。前者は後者において(後者と)、communicated, reconstructed, or abandonedされる(Clark & Peteson, 1986, p.268)。また、教師はまず「何をするか」という決断をして、その後で、「なぜそれをするか」という理由を考える場合もあり(post-hoc rationalization)、reasoningとdecisionはinterwovenなプロセスである(p.127)。当然、同じ状況下でも、教師はそれぞれの背景知識、assumption, 信条に基づいてdecisionをするので、decisionはそれぞれ異なってくる(この辺は、Chap9で詳細に述べる)。Planningのdecisionに影響を与えるファクターとしては、externalなものと、internalなものがある。いずれの場合でも、ずらーっとあるリストのファクターの中のいくつかが、選ばれる。しかも、重み付けがその時々で違う。その後延々と論が続くが、どうも自分の欲しいものとは関係なさそうなので、失礼ですがすっとばす。
 Chap7. An integrated view of teacher’s beliefs, assumptions, and knowledge
このあたりから自分に関わってくるので、真剣に読まねば。まず、「授業中に教師はなぜ、数ある選択肢の中から、この活動、この行動を実行することを選ぶのか?」という大きな問いが設定されている。この問いを答えは、教師へのインタビューの中にあった。teachers’ beliefs, assumption, and knowledge(BAK)が大きく関与しているというのだ。この章では、この3つの要素を1つ1つに関して、レビューしていく。そして、この3つをintegratedさせて、BAKの概念へと結びつける。また、この理論をサポートするデータ(インタビューから得られたデータ)を紹介する。
まずはassumption。これは、Anthony(1963)の言うところのapproachと同義語である。 a set of collective assumption about the nature of language, and the nature of teaching and learning. 言葉がどういうものなのか、言葉を教える・習う、ってことがどういうことなのか、に関する全般的な信念の様なもの。「知識」とは違って、「知っている」と言い切れるものではなく、立証されているわけではないが、「しばらくの間、真実であると思おう」と思っているもの。
background knowledgeは、教員が持っている背景知識のこと。英語に関する知識、教授法に関する知識も含まれる。宣言的なものもあれば、手続き的なものもある。
beliefは教師が授業をする上で非常に影響力のあるもので、knowledgeとの違いにおいて、Shavelson and stern(1981)は、「教師は情報(または知識)が無いとき、自分のbeliefに頼る」といっている。agreementが得られていなかったり、立証されていなかったりするが、個人が「それでも(正しいと)信じている」のものである。
この3者は時としてknowledgeからbeliefへの一直線上にあるものだが、その使用においてはオーバーラップするものである。インタビューで得られた教師の言葉をデータ化しようとするとき、それがbeliefなのかknowledgeなのかを判断するのが非常に難しいことからも、これらの要素がオーバーラップしたあいまいな境界線を持つことがわかった。そこから、Woodsはあえてこの3者を独立したものと考えず、分類することなく、3者を統合することを提案している。それがBAK(belief, assumption, knowledge)である。BAKは、この3者が互いに関連しながら存在しているというスタンスにたっており、例えば教師から引き出された事例をみても、事例が個々に独立して存在するというより、それらの事例の間の関係を、教師が物語っているということがわかる。その背後にあるknowledge, belief, assumptionもやはり互いにかかわりのあるもので、もとをただせば、「何か一つ」に通じるものがあるのではないか、と。で、このBAKを影響するものとして、early language learning experiences, early teaching experiences and teacher education, later language learning and teaching experiences overseasなどが挙げられていた。