Liao, Po-Sen & Chiang, Mei-Yen. 2003

The study of students’ and their teachers’ beliefs about English learning.
2003 International Conference on English Teaching and Learning in the Republic of China
台湾の大学生英語学習者とその教師の英語学習に関するビリーフを、BALLIを用いて調査・比較した研究。学習者と教師の比較に関しては、相関spearman rank-order correlationを用いており、項目ごとではなく、全体に関しての相関(r=.84)しか報告されていなかった。(これに関してはHatch & Lazartonのリサーチマニュアルを参考にした、と記述有り)。ここの部分、since the participants’ responses were not always normally distributed across the five point Likart scale, spearman rank-order correlation coefficient was computed and presented in Table 2となっていて、table 2には0.84の相関表がのせられているんだけど、computeの意味がわからない。各質問ごとの相関を、どうやって一つの数値にcomputeしたのか?平均をだしたの?確かに、0.84というのは非常に強い相関だけど、その値の出し方を明記していないと、数字の説得力がでない。
さて、おおむねのところろ教師と生徒の英語学習に関するビリーフは類似していた(→この結果は、Kern1995やLutz1990と一致する)ものの、有意な差異が見受けられた部分が2つあった。
その一:nature of language learningに関して。「言語学習の側面で最も大切なのは文法学習である」(生徒の方が教師よりも強く同意)、「言語学習の側面で最も大切なのは、L2-L1の訳である」(同)の二つの質問で有意差あり。教師はcommunicative teachingをしようと頑張っていても、生徒の方が文法訳読を重視する傾向にある。これは、生徒が高校まで受けてきた教育の名残と言えるだろうと著者は推測する。問題なのは、教師がcommunicativeに教えようと頑張っても、生徒が文法訳読を重視していると、教師の教えようとするもの(良かれとする教え方)と生徒の教わりたいもの(希望する教わり方)の間に溝ができてしまい、結局、learner satisfactionや教室内でのself-confidenceが下がってしまう恐れがあるということ。
その二:learning and communicative strategiesに関して。教師は誤りに寛容であるのに対し、生徒は「誤りを許されるとそれが化石化につながる」と思う傾向にあり、また、教師は生徒よりも「推測をすることはOKだ」に(有意に)強く同意している。
二はともかく、一は日本のコンテクストにもあてはまるかなぁと思った。特に、教えていて、こっちが頑張ってコミュニカティブな活動を取り入れても、生徒のノリが悪かったりすると、「こういう活動は嫌いなのかな」と思うし、自分が生徒という立場でコミュニカティブな活動をさせられたりすると、ペア(相手)によっては、「めんどくいからさっさと答え合わせして欲しい」「これは無駄な活動でしょ」って思ったりするし。
で、この研究の実践へのimplicationですが、教師が生徒のビリーフを理解する(知る)ことが大事。教師は生徒が何を求めているかがわかるし、もしもerroneous beliefを持ってたら、教師は生徒に「真実」と対面させて、生徒のerroneous beliefをmodifyしてあげられるし。(たとえば、誤りをおかしちゃダメ!とか、誤りが化石化する!というのは、これまでのSLAの研究結果によると、erroneous beliefといえるだろう。)教師がアドバイスして、生徒のlearning strategiesの幅を広げてあげることもできる。
日本人学習者や日本人英語教師のビリーフについては、鈴木栄さんという方が研究しているので、この方の論文もこれから読もうと思う。と、ビリーフに傾倒しがちな最近のワタシ。