Kern, 1995.

Students’ and Teacher’s Belief About Language Learning. Foreign Language Annals, 28-1.
生徒のビリーフと教師のビリーフの比較。特に、①1980年代半ばの U of Texasの学生と、90年代後半の UC Berkleyの学生のビリーフに違いはあるか? ②バークレーの学生のビリーフは、彼らの教師のビリーフとどんな関連があるか ③コースの途中で、学生のビリーフは変わるか?もし変わるなら、教師のビリーフの方向へと変わるのか? バークレーの学生(288人、フランス語がTL)とその教師12人を質問紙調査(BALLI使用) を見る。
 ①に関しては、strikingly similarであり、生徒の言語学主観というのはさほど移り変わらないものだといえる(もちろん、若干の違いはアリ)。②に関して。これは分析の仕方によっても、結果がかわってくる。「全体的な」相関をみると、r=.93で、かなり高い相関となっている。教師と生徒のビリーフがある程度同じであることを示すLutz 1990らの結果と一致する。しかし、生徒それぞれの回答を、その生徒を教えている教員のビリーフと比較すると、より多様な結果となる。それぞれのクラスで教師とそれぞれの生徒のビリーフの相関をとると、相関係数は.00から.08まで様々。特に、教師同士でも意見が分かれているような項目に関しては、教師と生徒のギャップもかなりあった。(例:指導の際にはTLの文化を加味することも大事だ、エラーコレクション、などなど。③に関して、これまた全体的に見ると、変化はないように見えるが、個人レベルで見ていくと、かなり変化が見られる(このへん、どういう意味なのかイマイチよくわからん……)。が、しかし全体的にはビリーフには大きな変化が見られなかったので、コースの間に教師のビリーフの影響を受けて生徒のビリーフが変化するとは言いがたい。が、しかし、何人かの生徒のビリーフは、教師のそれに近い方向へと変化しているという事実も、一方にはある。
 「比べる」ことに関しては、いろんな比べ方があるので、このあたりをきちんと理解していないとダメだなぁ……と思った。ビリーフや動機付けなど、情意的なものは正確に測定しにくいし、そんなに簡単に「見える形」で変わるものではないのだろうか。変化を数値化するのが難しいんだなぁ。